アミューズメントワーク

企業で働く人たちの仕事上の悩みを分析し、解決策を一緒に考えます。

自己実現

前回の記事で「自分がやりたいこと」を自己実現と表現しました。「自分がやりたいこと」について考えているうちに、米国のアブラハム・マズロー(1908年~1970年)という心理学者が提唱している、欲求5段階説というのを見つけました。心理学を勉強した人はご存じかも知れませんが、欲求5段階説を表した図を見ると、ピラミッドの一番上が「自己実現欲求」になっています。この説は 「人間は自己実現に向けて常に成長し続ける生き物」という仮説のもとに考えられていて、下の欲求が満たされると、その上の欲求を満たそうとすると言っています。

自己実現欲求というのは、他の誰にも成し遂げることができないようなことを自分が成し遂げたいという思いや、自分らしくありのままに生きていきたいという欲求のことだそうです。なるほど、何となく「自分がやりたいこと」と自己実現が結びついてきたように思われます。ところが、このピラミッドを見る限り、自己実現欲求を満たすには、ずいぶん多くの欲求が満たされないと辿り着けないんですね。
さて、自己実現欲求の一つ下は承認欲求になっています。ということは、承認欲求が満たされないと自己実現欲求には進めないということになります。したがって「自分がやりたいこと」は、 誰かから認められる、あるいは自分は価値ある存在であると認識できることが前提になると考えられます。社会における他者との関りが無いと、それも満たされないということなんですね。社会に関わる中で「自分がやりたいこと」が見えてくる、というのは理解出来るように思われます。次回以降、もう少し考えてみたいと思います。

館長の独り言(DIE WITH ZERO)


最近記事を掲載する頻度が減ってきています。記事を書く時間が無いほど忙しい訳ではないし、ネタ帳にもそれなりメモが書かれているし、原稿の下書きもいくつか仕掛かっている状態です。ただ、投稿に踏み切ろうとすると「いや、待てよ…」という思いに駆られて、つい先延ばししてしまいます。
それこそ「お盆休み明け」以降、自己分析をしてみました。まだ結論には至っていませんが、一つの大きな要因としては、先月読んだ一冊の本の影響が大きかったように思われます。“DIE WITH ZERO”という題名で、要約すると「死ぬときは貯金はゼロにしておくべき、充実した人生を過ごすには、体力のある(若い)うちにお金を使って、出来る限り思い出を作りなさい」というものです。その中で、仕事はお金を稼ぐための手段であり、人生で本当に自分がやりたいことは何かを考えるべき、と言っています。(これはあくまで私の受け取り方ですが)
「仕事はお金を稼ぐための辛いもの」と考えると正にその通りかもしれませんが、それだけ多くの時間を仕事に費やすのであれば、楽しく(面白く)仕事をするにはどうしたら良いのかを考え、そして仕事を利用して多くの経験をしたり、自分がやりたかったことが発見出来れば(自己実現)良いのではないかという私の考えと、異なる視点で(この本の内容が)語られていることに違和感を持ってしまいました。
少し頭の中を整理しながら、人生の終盤戦に差し掛かってはいますが、「自分がやりたいこと」についても考えてみようと思います。

お盆休み明け


世間では、今日からお盆休みに入った会社も多いのではないかと思います。ここ一週間を振り返って、会社で最も多く聞かれた言葉は「お盆休み明けに」ではないでしょうか。この言葉は、やらなければならない仕事を先送りにする体(てい)の良い枕詞のように思われます。これから貴重な長期休暇に入るので「面倒臭い仕事の話は先送りにして、仕事を忘れてゆっくり休みましょう」 また「連休でリフレッシュしてから頑張ります」という意味が込められたこの発言には、たとえ上司といえども反論するのは難しいでしょう。
さて、連休明けの状況を考えてみましょう。多くの「お盆休み明けに」を口にした人たちが、先送りした仕事を一気に始める訳で、その余波は自分にも降りかかって来ます。要するに「休み明け」は自分に対する仕事の依頼も増えるというのが常です。連休前にこの状況を折り込み済みで、自分が先送りした仕事の段取りを明らかにしておけば、それなりに対処することも出来るでしょう。ところが自らの仕事の手順を考えることまで休み明けに先送りにした人は、目の前に積みあがった具体的(やるべきことが明らか)な依頼を優先してしまい、自分が先送りにした仕事をさらに先送りにしてしまうことになってしまいます。
実は昨日契約先の会社で、業務進捗についての打合せを行ってきました。案の定「お盆休み明けに…」という話が出てきました。私の理解を深めるために少し踏み込んでその課題について議論をしたところ、そのアクションは(お盆休み明け)直ぐに実行するのは良策ではないことが明らかになり、「お盆休み明け」の業務の優先順位を見直すことが出来ました。おそらくその担当者は、安心してお盆休みを過ごせ、休み明けもバタバタすることはなくなったのではないかと思います。
長期休暇に入るに当たって、仕事の先送りはやむを得ないと思いますが、せめて休み明けにどの様な段取りで進めるのかを具体的にイメージしてからシャッターを閉めた方が、休暇を有効に過ごせるのではないかと思います。
「こんな話、もっと早くしろ」と言われてしまうかもしれませんが、この先連休はたくさんありますので、是非次の連休前には思い出して実践してみてください。

スポットコンサルティング


スポットコンサルティングというのをご存じでしょうか?企業側が求めている情報や専門知識等を、提供可能な個人と合意の上でアドバイスを受けるものです。いわゆる何とか知恵袋のようなものですが、当事者間でのやり取りなので外部には公開はされずに、企業側から個人に対して1時間程度のインタビューで数千円から数万円の報酬が支払われます。専門サイトを経由してのマッチングなので、報酬から手数料は差し引かれますが、信頼のあるサイトであれば特に問題なく取引は成立すると思います。(登録に際しては、それなりに厳格な規約に合意する必要があります。)
実は私も約3年程前にある専門サイトに個人として登録をしていましたが、つい先日指名で(といっても名前は非公開ですが)ある企業から面談依頼が送られてきました。企業からは概略の依頼内容も伝えられて来ましたが、私としては現役を引退してだいぶ経過しているし、人脈や業界知識を強味として仕事をしていた訳ではないので、依頼を受けた当初は多少躊躇しました。まして、報酬レベルもそこそこの金額が提示されていて、果たして自分がそこまで価値のある情報を提供出来るか不安もありました。
依頼が来てからリモートでのインタビューまで数日間ありましたが、その間事前に受け取った依頼内容を見ながら、忘れかけていた現役時代の記憶を呼び起こし、気が付くと説明用の資料もパワポで2枚ほど作成していました。結果、ちょうど1時間のインタビューは大成功、幸い“ヤバイ”情報提供の要求も無く、依頼者の方も非常に満足してくださいました。インタビュー直後「これで1時間〇万円の報酬か」と自らも満足しかけましたが、依頼を受けてからインタビューが成立するまでの先方とのやり取り、サイトの運用方法や注意事項の把握、さらにはあれこれ考えながら作成したパワポ2枚に要した時間等を加味すると、妥当な報酬だということに気付きました。
今回は初めての経験だったので、多少戸惑いもありましたが、依頼者の満足を得ることが出来たことが、私の最大の満足でした。この後は、1か月後に振り込まれる予定の報酬の使い道を考えながら過ごしたいと思っています。

ブレイクタイム(83歳のゴルファー)


私のゴルフ仲間には83歳の方がいます。確かに体力的に年齢には勝てないのは事実ですが、向上心は驚くほど高くて、今年の初めには1か月間もゴルフ合宿に参加したり、You Tubeのゴルフ動画を観て独自にスイングの研究をしているようです。
一般的にゴルフ場には最初のショット(ティーショット)を打つ場所(ティーグラウンド)が3種類あります。一般の男性ゴルファーはレギュラーティー、上級者はそれより後ろのバックティー、一般の女性ゴルファーは一番距離の短いレディースティーとなっています。私が行くゴルフ場では、高齢者の方々のためにゴールドティーというのが、レディースティーとレギュラーティーの間に設けられています。
83歳の方の話に戻りますが、最近その方がゴールドティーからプレーをするようになりました。それまではレギュラーティーだったのですが、おそらく若かりし頃のイメージを持ち続けていて、思うようなプレーが出来ないことに愚痴を溢しながらのラウンドが続いていました。ところが、ゴールドティーからプレーするようになって、今までとは見違えるようなショットが出るようになり、距離が短くなった以上にスコアも良くなりました。確かにYou Tubeの効果もあったのかもしれませんが、私はメンタルの面が大きく影響していると思っています。
要するに、これまでは飛距離を出さなければならないと(おそらく)力を入れてスイングしていたことで、ミスをする確率も多くなり、さらにミスをすると次のショットも「またミスをするんじゃないか」と考えてしまい、悪循環になっていたと思います。
仕事においても同じようなことが言えるのではないかと思います。実施する人の実力が一番出せるフィールド(環境、メンバー、難易度等)があると考えます。少しのズレでも実力の何%どころか、全く結果が出せないということになるケースがあるかも知れません。人それぞれで適切な条件は異なると思いますが、皆さんが何かに取組む時には、何よりも「力まずに取組む」ということが肝要ですね。あと、向上心も忘れずに!

人たらし


「女たらし」という言葉は聞いたことがあると思いますが、「人たらし」という言葉があるのをご存じでしょうか?あまり一般的には使われない言葉だと思いますが「人の心を掴むのが上手い人のこと」を言うようです。(ちなみに、悪い意味[人をだます]でも使われるようです。)
自分の周りを見て、思い当たる人はいるでしょうか?例えばその人と話していると何となく心地良くて、何を言われた訳でもないのに、その人とのやり取り自体に納得してしまうような人だと思います。さらに、単に自分と意見が合う人であれば、この様な感覚になるかも知れませんが、「人たらし」の場合は、その人と自分以外の誰かとのやり取りを聞いていても「人の心を掴むのが上手い」と感じることが出来ると思います。
結果として、「人たらし」の人の周りには自ずと人が集まるようになり、他者から信頼もされるようになると考えられます。となると、どうやったら「人たらし」になれるのだろう?と思う方もいるでしょう。ネットで調べてみると“人たらしになるテクニック”などという記事等が見つかりましたが、どの記事も人に好かれるための所作がズラズラと記載されています。間違ってはいないと思いますが、それら全てに気を遣って意識的に行動するのは至難の業だと思われます。
一方で、多くの方が「人たらし」になろうと努力した経験があると思っています。特に好意を抱いた異性に対して接する時は、相手の気持ちを自分に向けようとして、意図的に色々と工夫をしたのではないか(あるいはしている最中)と思いますがいかがでしょうか。失敗に終わったケースもあると思いますが、要するにこの努力を自分と接する全ての人に無理なく出来るのが「人たらし」と呼ばれる人ではないかと考えます。
自分を良く見せようとするのではなく、相手を思いやって接することで、自ずと相手の心を掴むことが出来るようになるのではないか、というのが私の結論です。

知ったかぶり


知ったかぶりには、実際に言葉の意味や話の中身が分からないにも関わらず分かっている振りをするケースと、たまたま聞いたことがあったり、ほんのわずかな知見しかないのに、良く知っている振りをするケースがあるように思われます。その要因としては、前者は自分が無知だということを相手に知られるのが嫌だ(恥ずかしい)という意識、後者は自分は何でもよく知っているということを相手に示そうとする意識が働いているからではないでしょうか。
いずれにしても、知ったかぶりをする人とはあまり仲良くなれそうもありませんが、残念ながらビジネスの世界では割と多く見かけます。地位や立場によって、今さら訊けなかったり、権威を示さなければならなかったり、多少はやむを得ないところもあるでしょう。もし自分が知ったかぶりをしたことを認識していれば、分からなかったことをあとで調べようという意識が働きますが、知ったかぶり(特に前述の後者)が常態化すると、勘違いの世界に入り込んでしまいます。「自分の理解が全て」という勘違いです。他者の話を最後まで聞かずに自分の拙い知識(経験)だけで発言をしてしまうことで、自らの理解が深まらないという悪循環を起こしてしまいます。
実は、私も仕事上の付き合いで知ったかぶりの甚だしい人がいます。悪い人ではないのでその点は理解して付き合っていますが、最近その人からの情報が間違っていることがよくあることに気が付きました。逆に私が言ったことも、別の人に間違って伝えられていることもありました。ここまで来ると、仕事にも支障が出る可能性があるので気を付けようと思っています。
他者の話は最後までよく聞くこと、そして分からないことは出来る限りその場で訊くことを実践することが重要ですね。

欲求


欲求という言葉の意味は「強くほしがって、求めること」だということは皆さんもご存じだと思いますが、よく調べてみると「生理的、心理的な欠乏や不足が生じた時に、行動を起こそうとする緊張状態(刺激、切っ掛け)」と定義されています。人間の三大欲求である、食欲、性欲、睡眠欲を当てはめてみると何となく理解出来るのではないでしょうか。これらは全て生理的な欠乏(お腹が空いた、エッチとご無沙汰、眠たい)によるもので、人間が生存するために求める生理的な欲求です。
さて、人間の欲求には生理的欲求と、もう一つ社会的欲求というのがあるそうです。こちらは「人間が社会生活を営むにあたって求める、精神的な欲求」とのことです。例えば、お金や財産が欲しい、他人より優れていたい、尊敬されたい、軽視されたくない、嫌な奴に意地悪したい、集団に加わりたい等が挙げられます。欲求は満たされると「心地良い、気持ち良い」と感じるので、それを満たすための行動を取る訳なんですね。
会社ではこれらの欲求が飛び交っていると思います。身の回りにいる人の顔が何人も思い浮かぶのではないでしょうか?他の人に目立たないように欲求を満たそうとすることは“努力”と呼ばれますが、その努力が露骨過ぎると“嫌な奴”になってしまいますので、皆さんご自身は充分気を付けてください。
もう一つ、欲求の定義を改めて見てみると「心理的な欠乏、不足が生じた時」に生まれると言ってます。要するにこれらの欲求が強い人は、対象となるモノが不足していることを自覚しているということです。知識をひけらかして直ぐにマウントを取ろうとする“嫌な奴”は、自分が他者より劣っているということを自覚しているということになりますね。

日本人が英語が苦手な理由


一般的に日本人は英語が苦手というのは事実ではないかと思います。我々日本人は、漢字、ひらがな、カタカナの3種類の文字を理解し、文章を書く時には敬体(です、ます)と常体(だ、である)、話すときには敬語(丁寧語、尊敬語、謙譲語)を使い分けるという、非常に複雑な言語と言っていい日本語を使いこなしています。どうやら原因はここにあるようです。
日本は第二次世界大戦に負けてアメリカを主とする連合国軍の占領下となったにも関わらず、公用語が英語になりませんでした。なぜでしょう?一説によると、GHQ連合国軍最高司令官総司令部)が当時調査を行ったところ、日本人の識字率(読み書きが出来る人の割合)が他国に比べて異常に高く、また暗算も早く、日本人の教育水準が他国(とりわけアメリカ)と比べて圧倒的に高かったようです。そこでGHQは、日本人が英語を使うようになったら将来的にアメリカが日本人に乗っ取られてしまうというのではないかという危機感を持ったので、英語を公用語にしなかったということのようです。日本をガラパゴス状態にする政策をとったということなのでしょう。
真偽は定かではありませんが、言われてみると納得してしまう話です。GHQは言葉の問題以外にも、白人に対する劣等感を植え付ける、アメリカは素晴らしい国だと信じ込ませる、独自の意見を作らせない、討論や議論を学ばない、受け身のパーソナリティーを作る、一生懸命勤勉に仕事をさせる、目立つ人の足を引っ張る、といった教育プログラムを押し付けたと言われています。戦後70年以上が経過した現代でも、一般的に日本人は議論がヘタクソ、自ら発言しない、言われたことは一生懸命やる、等の特徴は当て嵌まっているのではないでしょうか?具体的に日本の教育のどの部分が影響しているかは分かりませんが、日本社会の風習として根強く引き継がれていいるということなのかもしれません。
ビジネスにおいても、世界に目を向けることは不可欠です。歴史のある会社であればなおさらのこと、過去の風習にとらわれず、グローバルで通用する発想が求められます。エンジェルスの大谷選手のように、世界の常識を覆すような日本人が、ビジネスの世界でも活躍することを期待しています。くれぐれもそういう人の足を引っ張らないように!

「名選手、必ずしも名監督ならず」のはずなのに


おそらくほとんどの方が聞いたことがある言葉だと思います。中には現役時代に好成績を残した選手が、後に名監督と呼ばれた例もありますが、一般的に名選手と呼ばれる人は、生来才能に恵まれていて自らのパフォーマンスが優れているために、緻密な作戦やチームプレーと関係なく現役時代を過ごして来ていて、勝つための作戦を練るとか、選手を育成するという監督業には向いていないと言われています。
おそらくビジネスの世界でも同じことが言えると思いますが、スポーツの世界と異なっているのは、ほとんどの職種で何年か経つとマネージャー(監督・コーチ)にならなければならないということです。一般的に企業では、実務で成果をあげられる人が早く昇進・昇格し、その先にはマネージャーというポジションが待っています。いわゆる名選手が早く監督になる仕組みになっている訳です。ということは、先の理由からも自ずと名監督が良まれ難い仕組みだと言えますね。確かに今までバリバリ注文を取ってきていた優秀なセールスマンが、課長になった途端に成果が挙げられなくなって、本人もメンタル的に参ってしまうというような話は聞いたことがあります。
やはり企業としては、入社直後からマネジメント教育を実施し、ある程度マネージャーとしての適正を見極めておく必要があると考えます。一方で、社員として企業に入社したからには、マネジメントについても常に意識して勉強しておくことが重要だと思います。
私の場合は40歳を過ぎて、それなりのポジションになってからマネジメントの勉強をさせられました。P.F.ドラッカーの本も何冊か読みました。おかげで2009年に“もしドラ”(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)が発刊された時には、かなり楽しく読むことが出来ました。